映画『本心』は、池松壮亮を主演に迎え、平野啓一郎の小説を基にした作品です。
しかし、映画化に伴い、原作から設定やストーリーの変更がいくつか施されました。
ここでは、物語の舞台や登場人物の背景など、原作と映画の違いについて詳しく見ていきます。
原作と映画の違い
物語は何年にはじまる?
原作では『2040年』が舞台ですが、映画では、『2025年』となっています。
テクノロジーの進化により、時間を前倒ししたとのことです。
2025年というと、この映画の公開翌年。
『ヴァーチャル・フィギュア(VF)』や『リアル・アバター』などの存在はまだまだ先のことのようにも思えます。
しかし、内閣府の【ムーンショット計画】では、はっきりとこうした未来が計画されています。
映画の中での進化を、これからなぞっていくのも楽しそうですね。
母の死因
原作では、母はドローンにぶつかられたことが原因で事故死しています。
朔也はその後半年間、母のいない世界に適応しようと頑張って生きていましたが、寂しさに耐えかねてVFを制作します。
一方映画では、母は川で亡くなり、助けようとした朔也は一年間昏睡に陥っています。
これは、ドローン批判にとられかねないよう、スポンサーへの配慮ではないかと思われます。
また、一年間昏睡させることで、目覚めた時、時代の変化がありありと目に飛びこんでくるさまを、観客も同じ感覚で体験できるという狙いかなと思います。
岸谷のポジション
原作では朔也はすでに『リアル・アバター』の仕事をはじめていて、岸谷はただの親しい同僚でしたが、映画では、幼馴染となっています。
そして、時代の変化により職を失った朔也に『リアル・アバター』の仕事や、『ヴァーチャル・フィギュア』について紹介するという役目を担っています。
この設定の変更により、【時代に置いてきぼりにされつつ、新時代へ適応しようとする様子を描く】ということにこだわりを感じます。
野崎の性別
原作では野崎は、AIのようにも感じられるビジネスウーマンでしたが、映画では、娘と2人で裕福な生活を送る男性に変更されており、生活感や人間味が感じられます。
これにより、【ビジネスとして加速していくテクノロジー】という側面が強調されているように感じます。
『リアル・アバター』の客、若松
原作では、若松は、死を目前に控えているため、『最後の親孝行』として息子にリアル・アバターを手配してもらった客として描かれています。
朔也は『リアル・アバター』の仕事には、やりがいとやりきれなさとの両面があると感じていましたが、この依頼は、どちらかというとやりがいを感じられる、温かい思い出として描かれています。
映画では、若松は『リアル・アバター』の仕事を始めた朔也の最初の客であること、若松は自由死を願っているという点で大きく違っています。
原作では、朔也が他人の自由死を引き留めようとするシーンは出てきませんが、映画では引き留めることにより、自由死に対するさまざまな考え方を提示させたかたったのではないでしょうか。
三好との生活
三好とイフィを引き合わせた時期や、三好とのダンスシーンなどは原作とは違うものです。
短い映画の中でストーリーをカットした部分や、映像としての華を重視したものと考えられます。
原作者の反応は?
原作者の平野啓一郎さんは、映画について、以下のように述べています。
小説の映画化に於いて、原作と映画は、一種、共同的なライバル関係にあるのだということを、私は強く感じました。一つの新しい世界が誕生しました。そして私は、それを実現した監督、俳優を初めとする映画制作者たちに敬服しました。
(引用:公式サイト)
原作がある作品の映画化は、賛否の別れるものですが、決して原作通りではないが、新しい世界感が生まれているようです。
主演の池松さん自ら監督に持ち込んでこの映画が作られたといういきさつからも、原作へのリスペクトが大いに感じられます。
原作者が太鼓判を押しているのですから、映画化は成功と言えるのでしょう!
下記投稿では、池松さんへの賛辞が送られています。
まとめ
映画『本心』は、原作の世界観を大切にしながらも、現代の社会やテクノロジーを反映したアレンジが施されています。
キャラクターの役割やテーマの変更によって、臨場感ある映像体験を楽しむことができます。
原作と映画の両方を味わってみるのも面白いかもしれません。
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